ガーナの日記

アウトプットの特訓中です。海外生活が長くても英語・日本語と上手く話せません。笑; 現在、骨董品の仕事を身に付けるため、修行中です。ブログの内容は今の自分の見解となっております。誤りもあるかと思いますので、お気付きの方は、ご教授ください。ᙏ̤̫͚ 日々成長をモットーに☆

あきらめる

 


年末の大掃除に

こころのおそうじ。も試みています。


『がんばる』

『あきらめる』

ということについて、新鮮だと感じたことを共有したいと思います。

 


よく、耳にしていたのは、

悩みをもつことに悩みとしている人に対して、

あきらめる。

そうすると、途中で投げ出すような、

否定的なイメージがありました。

個人的にスッキリしないものです。

 


しかし、『あきらめる』とは、

もともと『明らむ』という言葉からきていて

物事の道理、心理を明らかにするとこ。

という意味だったそうです。

 


大昔のインドのお話です。

ある女性が、たった一人の子どもを亡くし、嘆き悲しんでいました。

子どもの死を受け入れられず、子どもを抱きかかえ、『子どもを生き返らせる薬を作ってください。』と、町中をかけずり回っていました。

そこへ、通りかかったお釈迦様が、彼女へ告げました。

『一度も死者を出したことのない家から、カラシダネをもらってきなさい。それを材料にすれば、子どもを生き返らせる薬を作ることができる。』

インドでは、カラシダネという香辛料は、どこの家にも置いてあるものです。

彼女は大喜びで、その家を探しに回りました。

しかし、『一度も死者を出したことない』という条件です。

そんな家はどこにも存在しないのです。

彼女は次第に正気に戻り、お釈迦様のもとへ戻りました。

お釈迦様が、『カラシダネは見つかったか?』

と、尋ねると、『もう私には、そんなもの必要ありません。』と言いました。

 


どうにもならないことを、何とかしようと

もがき苦しんでも、どうにもならないこともあります。

その、いま自分が悩んで考えて

どうにもならないことに対して、がんばっても時間の無駄になってしまいます。

そこを『明らむ』


『明らめる』とは、このような思考もあるのだと。新しい発見でした。

 

 

 

 

 

メリークリスマス☆良いお年を*