あきらめる
年末の大掃除に
こころのおそうじ。も試みています。
『がんばる』
と
『あきらめる』
ということについて、新鮮だと感じたことを共有したいと思います。
よく、耳にしていたのは、
悩みをもつことに悩みとしている人に対して、
あきらめる。
そうすると、途中で投げ出すような、
否定的なイメージがありました。
個人的にスッキリしないものです。
しかし、『あきらめる』とは、
もともと『明らむ』という言葉からきていて
物事の道理、心理を明らかにするとこ。
という意味だったそうです。
大昔のインドのお話です。
ある女性が、たった一人の子どもを亡くし、嘆き悲しんでいました。
子どもの死を受け入れられず、子どもを抱きかかえ、『子どもを生き返らせる薬を作ってください。』と、町中をかけずり回っていました。
そこへ、通りかかったお釈迦様が、彼女へ告げました。
『一度も死者を出したことのない家から、カラシダネをもらってきなさい。それを材料にすれば、子どもを生き返らせる薬を作ることができる。』
インドでは、カラシダネという香辛料は、どこの家にも置いてあるものです。
彼女は大喜びで、その家を探しに回りました。
しかし、『一度も死者を出したことない』という条件です。
そんな家はどこにも存在しないのです。
彼女は次第に正気に戻り、お釈迦様のもとへ戻りました。
お釈迦様が、『カラシダネは見つかったか?』
と、尋ねると、『もう私には、そんなもの必要ありません。』と言いました。
どうにもならないことを、何とかしようと
もがき苦しんでも、どうにもならないこともあります。
その、いま自分が悩んで考えて
どうにもならないことに対して、がんばっても時間の無駄になってしまいます。
そこを『明らむ』
『明らめる』とは、このような思考もあるのだと。新しい発見でした。
メリークリスマス☆良いお年を*